J-openは過去の遺物なのか??

近年、米国の様々なペーパー上で根管内至上主義を散見する。そして、歯内療法の専門家をはじめとする「それなり」の先生方が、まことしやかにJ-OPEN等をするべきではないと発言し、私は内心憤りを覚える。

記憶している先生はもういないのかもしれないが、日本の近代歯科が萌芽期であったころ、当時最先端と言われた米国の歯内療法学は、とてつもない間違いを犯し大変な状況になった過去を持っている。もちろんそこには、それなりのエビデンスが多数存在した。しかし、結果大きな間違いだった。こういう過去からも、盲目に信じて良いか否かの判断を自分でするべきだ。己の積み重ねの理論で再考するべきではないのだろうか。

先般私の主宰するHERZ会でも似たような趣旨の発言が有り、反論するにもそう思い込んでいる先生に疑問をぶつけて言う時間もないものだから清聴していた。
確かに歯内療法専門医の一部では、たとえ急性期でも根管は緊密な仮封を行い、患者さんが激痛を訴えても投薬で我慢してもらい、根管開放してはならないと考えているようだ。そんなことをしたら細菌の巣窟である唾液などが根管内に侵入し、根管は汚染され治療の予後不良を引き起こすという。

急性期の感染細菌の拡散と口腔内唾液の細菌の感染は生物学的にも、まるで比較にはならないと思うのだが如何だろう。唾液が入り込むことは膿汁などが組織拡散することより重要なのだろうか。もちろん急性期であることの診断が全てであろうが、根管を開放すること自体を否定する理屈にはならないような気がする。加えて、嫌気性菌と好気性菌の運命共同体のような絶妙なメカニズムを理解し、その均衡が壊れたと言うことはどういうことなのかを診断そして理解するべきなのだ。

何も、どんなときでも根管の開放を勧めているわけではない。必要な時はあろうと言うことなのである。ドレナージ自体を否定する外科医がいないように、根管開放を否定する歯科医がいることはとても残念なのだ。何かとてもトレンドで有名な米国の話に盲目になる歯科医師が増えていることを危惧するが、これは大学教育の問題なのかと思ったりもする。

見事に、生体という小宇宙を考えることが出来ず、葉を見て木を見て、、森を見ず・・・と言うことにならないように願うばかりだ。




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